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伝説エピソード⑩世界の社交界で”東洋の真珠”と呼ばれる
フランスへと渡ったデヴィ夫人はパリの社交界へ足を運ぶようになります。
どの様な環境に置かれてもその美しさとこれまでの経験を活かし人気を博したデヴィ夫人。
これまでの経験にどれほどまでに努力を注いできたのかが垣間見えるエピソードです。
社交界に必要な「地位・財力・美しさ」だけでなく過去に培ってきた会話力やコミュニケーション能力、自信が彼女を更に輝かせ「東洋の真珠」と言わしめたのだと考察します。
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伝説エピソード⑪インドネシアで石油関係のビジネスを大成功させる
インドネシアへの入国禁止措置が解かれた1979年にデヴィ夫人は1人でインドネシアに帰国しました。
帰国した理由は、1970年に病死したスカルノ大統領に代わって自身が娘を守り、育てるために経済力をつけるためでした。
やはりデヴィ夫人の行動の源はいつも”家族”でありますね。
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政権交代したインドネシアにはデヴィ夫人の居場所は無くなっていましたが娘のためにと朝から晩まで働き猛勉強をしたと言います。
無我夢中で働いて勉強をした結果、会社は成長し石油や天然ガスプラントの入札など大きなプロジェクトにまで関われるようになりました。
デヴィ夫人はこの成功で「私はようやく経済的自立と自信を手にすることになった」と回想していました。
費やした期間はなんと10年にも及びました…!
私からするとこの時期まで自立と自信を感じていなかったことに驚きです。
いちから自分の力でやり遂げ誰に頼らずとも生活していく力を身に着けたことでデヴィ夫人から上記のような言葉がでたのだと推察します。
その後はジャカルタの一等地に白亜の豪邸を建て自分の力を示すこともできたと言います。
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インドネシアで成功した後、ニューヨークに家を購入するなどようやく落ち着いた生活を送るようになったデヴィ夫人。
本当にようやくですね…。
若い頃から寝る間を惜しんで懸命に努力を続け動き回っていたデヴィ夫人。
これからは愛する家族とともにゆっくりと人生を楽しんでほしいですね。
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伝説エピソード⑫傷害罪で逮捕されていた!?
歯に衣着せぬ発言で物議を醸すことも少なくないデヴィ夫人。
当時51歳だった1992年、デヴィ夫人に事件が起きました。
事件の発端はスペインで開催されたパーティーでした。
フィリピンの第4代大統領の孫娘のミニー・オスメニャさんがパーティーで「フィリピンの副大統領になる」と発言。
それを聞いたデヴィ夫人はなんと吹き出したのです。
その場では何事もなかったものの、その後アメリカのコロラド州で行われたパーティーで2人は再開。
和やかに会話が進むこともなく喧嘩に発展、怒ったデヴィ夫人はシャンパングラスで相手の顔面を殴打。
ミニー・オスメニャさんは37針を縫う大怪我を負いました。
デヴィ夫人はその後、傷害罪で逮捕され禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が下りました。
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デヴィ夫人って逮捕されたことあったのΣヽ(゚Д゚; )ノ pic.twitter.com/NUsW2xKjKh
— 焼肉定食 焼肉抜き (@alu200000) May 19, 2020
デヴィ夫人逮捕歴あるんだ
しかもアメリカで pic.twitter.com/96H15gWk8G— セクシー炭水化物 (@NikuYork) May 9, 2019
デヴィ夫人は後に刑務所での生活について、
刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった。
と話しています…!
肝が据わっているデヴィ夫人の発言には驚かされるばかりです。
デヴィ夫人の学歴
中卒
前科有り
第4代フィリピン大統領の孫娘のミニーオスメニャさんをシャンパングラスでぶん殴り37針を縫う大怪我を負わせて傷害罪で逮捕。
禁錮60日罰金700ドルの実刑
34日間の収監
出所後
刑務所の感想
「刑務所の中での生活は学生寮のようで楽しかった」
⚠️これは全て事実です pic.twitter.com/TK3OOUIJ5j— れむすい@地球最後の告白を (@gs_masuk) July 16, 2023
— たくぽん (@PDTakupon_JP) May 16, 2020
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