スポンサーリンク
伝説エピソード⑬歴代のボーイフレンドが凄い
美しさと上品さを兼ね備えていたデヴィ夫人はそれはそれはモテていたそうです。
夫であるスカルノ大統領は女性好きということも相まって愛想をつかしたデヴィ夫人が禁断の恋までしてしまっていたとか…!
- 津川雅彦
- フランシスコ・パエサ
- エルゼアル・ド・サブラン=ポントヴェス公爵
- アラン・ドロン
スポンサーリンク
津川雅彦
日本で人気俳優として活躍していた津川雅彦さん。
2人の出会いは六本木で開かれたデヴィ夫人を励ますパーティーでした。
日本メディアが報じた夫であるスカルノ大統領の愛人問題に大きなショックを受けていたデヴィ夫人。
そんなデヴィ夫人を激励するためのパーティーに津川雅彦さんも訪れていたのです。
世間はいろいろ面白がって言うものです。そんなことを気にしてはいけません。
パーティーが終わる頃には津川さんはデヴィ夫人の手を取り力強く握りしめてくれたそうです。
それから2人は互いに惹かれ合い、結婚をも望む程でした。
しかしこの頃のデヴィ夫人は人妻、ましてや大統領夫人であり週刊誌が放っておくわけありませんでした。
大統領夫人と人気俳優の不倫関係は大々的に報じられました。
スポンサーリンク
ほどなくしてデヴィ夫人は娘のカリナさんとともにヨーロッパへ渡ります。
津川雅彦さんもしばらくしてデヴィ夫人を追うようにヨーロッパへ渡りました。
再開した2人が再び恋に燃えるかと思いきやそうなることはなかったのです…。
日本でバッシングを受け傷付いていたデヴィ夫人でしたが、ヨーロッパでは”自信と誇りに満ちた大統領夫人”となっていたのです。
その変化を目にした津川雅彦さんは
あなたの人生に、自分は必要ない。
そういった意味の言葉を伝えお別れをすることになりました。
デヴィ夫人は後に、津川雅彦さんについて次のように話しています。
津川さんは私が本気で好きになった、ただ1人の日本人男性。
2018年8月4日は、津川雅彦さんの忌日です。芸能一家に生まれ、子役として活躍したのち本格的なデビューは16歳の時、1956年の日活映画「狂った果実」です。石原裕次郎の弟役を探していた石原慎太郎が一目見て気に入り、強引にキャスティングしました。デヴィ夫人の恋人だった時期もあります。 pic.twitter.com/Dl69eyx95F
— 森永タミー (@tammy_morinaga) August 4, 2019
津川さんを検索するとデヴィ夫人が出て来ておやっ?と思ったんだけど、どうやらこの2人は昔良い仲だったらしい。そりゃあデヴィ夫人みたいに高飛車だけど美しくてお茶目で可愛い女性なら、津川さんが恋に落ちるのも分かる気がする。デヴィ夫人のコメントが気になる。 pic.twitter.com/NkEiWNDASu
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) August 7, 2018
スポンサーリンク
フランシスコ・パエサ
デヴィ夫人が30歳の頃。
夫であるスカルノ氏を亡くし途方に暮れながらも娘のために無我夢中になって働いていたパリで出会ったのがスペイン人の銀行家であるフランシスコ・パエサ氏です。
2人は再婚まで考えスイスで銀行を経営しましたが、当時スイスでは現地に国籍を持つ人以外が銀行を設立することは詐欺にあたるためデヴィ夫人はパエサ氏の勧めによりパリに避難しました。
パエサ氏はその後、全ての預金を返済したものの居住権の問題で訴追されてしまいます。
デヴィ夫人はパエサ氏の保釈金として1億円以上を用意しましたが、パエサ氏は負い目に感じたのか
「私は、あなたに愛される資格はない。」
そう言って姿を消してしまったそうです。
デヴィ夫人 一人娘のカリナちゃんと 1枚目の写真は珍しく着物姿デス、綺麗 デヴィ夫人と一緒にいる男性は フランシスコ パエサ スイスで夫人と銀行を立ち上げた人、この後悲しい別れを経験することになりますが、 幸せそうな 写真です、 pic.twitter.com/PytYkjX3zY
— ミラー (@Kc9vYiJ0OJhZBg2) December 27, 2017
スポンサーリンク
エルゼアル・ド・サブラン=ポントヴェス公爵
デヴィ夫人がパリ時代のハイライトと話すのが、エルゼアル・ド・サブラン=ポントヴェス公爵との交際です。
ポントヴェス公爵とは婚約まで話が進んだものの白人ではないことや相応の持参金がなかったことから結婚には至りませんでした。
ポントヴェス公爵とはなんと7年間も婚約生活を送っていたようです…!
デヴィ夫人 フランスにいた頃のデヴィ夫人 一番女盛りの頃ではないでしょうか、 髪型も今にない髪型で美しいデス。夫人の隣にいるのはサブラン公爵 夫人の語学力やハングリー精神には圧倒されるばかり pic.twitter.com/ntMosS8KNd
— ミラー (@Kc9vYiJ0OJhZBg2) December 12, 2017
スポンサーリンク
アラン・ドロン
デヴィ夫人の交流関係は広くフランスの大物俳優であるアラン・ドロンさんともお付き合いがありました。
出会いはまだスカルノ大統領が存命だった頃。
東京五輪のために日本に帰国していたデヴィ夫人はホテルのロビーで出会いました。
当時についてデヴィ夫人は番組で次のように語っていました。
いっつも私たちがロビーを通って外出すると、いらっしゃるんですよ。
で、外出から帰ってくると、またいらっしゃるの。
もうスカルノ大統領は「おまえがお目当てなんじゃないか」って、ジェラシーをなさったぐらい。
アラン・ドロンさんもまたデヴィ夫人の美しさに一目惚れしていたのかもしれませんね。
もちろん人妻であったこの時は何もなかったようです。
しかしスカルノ大統領が失脚しフランスへ亡命した際、パーティに参加したデヴィ夫人は再びアラン・ドロンさんと出会いました。
スポンサーリンク
当時の2人の関係について、
もう、むか~しむかしのお話ですけどね、
40年ぐらい前?そんな、彼氏ということではないですけども、まあ、ウィークエンドとか、うたかたの恋ですね。
と、正式なお付き合いではなかったことを意味するような発言をされていました。
当時の社交界ではラブはゲームのひとつ
当時の社交界は私たちには考えられないような世界だったことが想像できますね。
お疲れ様です
デヴィ夫人
恋人アランと。 pic.twitter.com/7lafpjWZdd— 珈琲百杯 (@aYDrf9ngYoL84PF) March 26, 2022
デヴィ夫人とアラン・ドロンの秘密の関係とは。社交界でラブはゲーム https://t.co/SSDg35ZPtU pic.twitter.com/QjXIJaO2zh
— ミッシェル・ゆう (@missherlyuu) May 14, 2017
抜群の美貌からその存在だけで目を惹く存在にあったデヴィ夫人。
頭の回転とトーク力から話した人を楽しませることは容易なことだったのではないでしょうか。
そんな美しい見た目と頭の回転力の速さが伝わる会話、お茶目な一面から関わる多くの人がデヴィ夫人に惚れたことでしょう。
スポンサーリンク
伝説エピソード⑭芸能情報雑誌『GORO』の創刊記念号でヌードを披露していた
1970年代を代表する男性向けの人気グラビア芸能情報雑誌「GORO」の創刊号でデヴィ夫人はなんとヌードを披露していました。
ヌードまで披露していたとは知りませんでした…!
考えてみれば美しい顔立ちだけでなく今も美スタイルをお持ちの方ですよね。
スポンサーリンク
君は知っているか…1974年から1992年までGOROという名の総合男性誌が隔週で発刊されていたことを。創刊号は見慣れてるロゴと違うし、何よりデイヴィッド・ハミルトン氏が撮影した30代前半のすごく美しいデヴィ夫人のヌードが掲載されてるんやで☆ pic.twitter.com/6wqaPYBW1J
— ささもてぃんⁿ@糖尿魔王 (@yukihirosasamo) December 18, 2020
私の世代や上の世代なら知らない男子はいなかった人気雑誌「GORO」(1974年創刊・92年休刊)の創刊号にはデヴィ夫人(当時34歳くらい)のヌードグラビア pic.twitter.com/Vml7lodCBD
— (喪中) ヘルベルト•フォン•スダヤン (@suda_yan) May 14, 2023
どんなことにも挑戦しているデヴィ夫人。
一般人の私からすると理解できないことも多いですがそのアクティブに挑戦し続ける姿勢がデヴィ夫人を輝かせているのですね。
コメント