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伝説エピソード③内臓破裂の大ケガから奇跡の回復を果たしていた
ヒロミさんは18歳の時に友人2人を乗せた車で事故を起こしてしまい内臓破裂の大けがを負いました。
一時は生死を彷徨い医者から家族に向けても「諦めてください」とまで言われたそうです。
しかし、大手術を乗り越え一命を取り留めることができました。
「人間はいつ死ぬか分からない!生きているうちに好きなことをしよう!」
ヒロミさんは若い頃に起こしたこの事故をきっかけにそう考えるようになったそうです。
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一度生死を彷徨うと価値観が変わると言いますよね。
助かった命を大切に好きなことをやろうと決意できるのもそれを経験した人は通常よりも強い意志を持つことになるのではと思います。
入院中に見たバラエティ番組を見て自分にも出来ると確信し、お笑い芸人を目指すようになったのもこの頃だと言われています。
自分にも出来ると確信する当たりにヒロミさんの自信が見えますよね。
こうなりたい!と憧れの存在ができるのではなく自分にも出来る!と思うことに出会えることはそうそうないのではないでしょうか。
このことからヒロミさんもある程度自分のトークスキルに自信があり芸能界に入ったと考察します。
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伝説エピソード④お笑いトリオB21スペシャルを結成
ヒロミさんは若い頃に働いていたショーパブのお客さんから言われたあるひと言をきっかけに芸能界へ入ることになりました。
あんた面白いから芸能界やってみたら。
お客さんの言葉を受けてそのまま芸能界に入るための行動を起こすことからヒロミさんの行動力が伺えます。
もしかすると前述したお笑い芸人を目指すようになったきっかけからお客さんの言葉が後押しになったのかも知れませんね。
そうして後に師匠で”漫才の先駆者”とも言われる星・セントさんを紹介してもらいます。
しかしセントさんからは、「1人じゃ無理だから。ピンは難しいから」と言われてしまいます。
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そこでヒロミさんは当時同じショーパブで働いていたデビット伊藤さんとミスターちんさんを誘いお笑いトリオを結成します。
ヒロミさんはデビット伊藤さんとミスターちんさんを誘った理由について次のように番組で話していました。
自分1人では無理だが、ルックスのいい2人と一緒なら…
実際、働いていたショーパブのナンバーワンツースリーを3人が占めていたとも言われています。
誘われた当時はルックスの良いデビット伊藤さんはアイドル志望で、ミスターちんさんはミュージカル役者とダンサーを志望していたそうです。
彼らとなら成功できると思っていたヒロミさんは必至に2人を説得したようですね。
ショーパブのトップ3となると話術にも長けている印象があります!
更にルックスも良いとなると人気が出ること間違いなしと考えますよね。
ショーパブ側からすればトップ3が抜けるのは相当痛手なような気もしますが…。
そこはヒロミさんのずば抜けた話術で何とかなったのでしょう(笑)
お笑いトリオとして「B21スペシャル」が結成されてからは他の若手芸人との差をつけるために若かりしヒロミさんは衣装をDCブランドでまとめることに決めました。
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衣装にこだわることで周囲の若手芸人との差をつけることはもちろん、人気を博してからはお洒落な衣装に合わせてルックスもいいことからアイドル並みの人気を得ることになりました。
お笑いトリオとなった3人は毎週のように星セントさんの自宅兼稽古場へ行きレッスンを受ける日々を送ります。
お笑い芸人が衣装にこだわるとはヒロミさんらしいですよね。
人の心にすんなりと入ってしまう優れた話術もそうですが埋もれないような差別化までしっかり考えるとは頭脳派です。
営業やホストクラブで学んだ知恵が存分に発揮されたのではないかと考察します。
服装で他との差別化を図った戦略は見事に成功しアイドル並みの人気を得ることができたB21スペシャルは漫才からだけでなく見た目からもファンを取り込むことができたのではないでしょうか。
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伝説エピソード⑤デビュー後すぐに芸能界のトップを走る
星セントさんのところで稽古を続けて半年ほど経った頃に当時の最も人気のあった六本木のショーパブ「バナナパワー」でコントを披露するようになります。
そこに客として訪れていたプロデューサーや芸能事務所の目にB21スペシャルが止まりあれよあれよとデビューを果たします。
バナナパワーでの若い頃のヒロミの活躍を見ていた恵俊彰さんは次のように当時を振り返っています。
最初に、見学さしてくださーい、ってヒロミたちが来たのを凄く覚えてて。
気がついたらヒロミたちはB-21 SPECIALのスカジャンかなんか作ってやってたじゃん。
その年のバナナパワーの忘年会でーすっていう時にはもうすでにB-21が司会なんだよ。
恵さんも驚くほどのスピードで若かりし頃のヒロミさん達はデビューの道へと進んでいったのですね。
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B21スペシャルのデビット伊藤さんは当時の順調な駆け出しについてこう語っています。
多分、セントさんが連れてきてくれたんでしょうね。
要するに、根回しして道筋をつけてくれたのは全部、セントさんだったんです。
若い頃のヒロミさん達は師匠であるセントさんにその実力を認めてもらい陰ながらたくさんの援助をしてもらっていたのかもしれないですね。
バナナパワーで活躍する中で評判が高まり次々にファンを獲得するようになりました。
1年も経たないうちに事務所も決まりテレビへの出演を果たします。
B21スペシャルが広く知られるきっかけのひとつとなったのが「ザ・テレビ演芸」への出演です。
新人芸人達が対決しチャンピオンとなった組はプロへの道が開けるという「とび出せ笑いのニュースター・ホップステップジャンプ」のコーナーで若かりし頃のヒロミさん達は10週連続で勝ち抜き見事4代目チャンピオンを獲得しました。
当時の最終週で披露したコントは審査員を唸らせる程のものだったとか…!
ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない。
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どの様なコントだったのか気になるところですが題名が「六本木ステーション」ということ以外は情報を掴むことができませんでした…。
こうしてB21スペシャルはアイドルのようなお洒落なルックスとコミカルな笑いで視聴者を虜にし瞬く間にバラエティ界のトップへと駆け上りました。
B21スペシャルの計り知れない努力はもちろん、ヒロミさんの社交的な性格や積極的な行動から師匠や先輩の心を動かしたくさんの支援をしてもらっていたのではないかと考察します。
何事も新しいことを始める際は最初のスタート地点に立つまでがなかなか難しいですよね。
そのスタート地点に辿りつくまでの助けを受けていたことは大きな力となったのではないでしょうか。
その後の勢いはいうまでもなくB21スペシャルの3人の努力ですね。
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