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出川哲朗の若い頃の伝説エピソード13選
今やリアクション芸人の第一人者と言われる出川哲朗さん。
おバカな発言や一つ一つのリアクションが面白く老若男女問わず人気を集めていますよね。
今でこそ冠番組を持ち多数の番組に出演する売れっ子芸人でありますが
一昔前は小汚い若手芸人として酷い扱いを受けていました。
- 気持ち悪い
- 消えてほしい
- ゴミ
- 抱かれたくない
- リアクションは面白いけどワンパターン
そんな出川さんが今ではCMにまで出演するような好感度ナンバーワン芸人にまで上り詰めているのですから、未来というものは本当にわからないものです。
ベイマックス(出川ver.)
まじ出川おもしろいwwwwww pic.twitter.com/UgwWnOVBCi
— だいすけ (@burst23) February 22, 2015
出川おもしろいな😂
3分ぐらい爆笑した pic.twitter.com/SiWRulodGH— close (@torrappussikari) August 26, 2015
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この記事ではそんな出川哲朗さんの知られざる伝説を若い頃からプレイバックして、
伝説エピソード13選としてご紹介します。
- 幼少期は絵に描いたようなお坊ちゃまな暮らしぶりだった
- 親戚も有名人!?出川哲朗の家系図が凄い
- 矢沢永吉の楽曲「鎖を引きちぎれ」をきっかけに俳優を目指す
- 全校生徒を前に伝説のスピーチを発表
- 劇団SHA・LA・LAを創設し座長を務める
- 内村光良との絆の深さに号泣!
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!で出場2回目にして優勝を掴み取るも衝撃事件が起きる⁉
- 出川哲朗の相方”ザリガニ”との危機が迫る!?
- リアクション芸人として地位を確立する
- 抱かれたくない男ランキングの常連として長年君臨していた
- 嫌われ芸人から一転愛され芸人となる
- 名言と迷言がおもしろい!
- CM放送回数で断トツの1位を獲得
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伝説エピソード①幼少期は絵に描いたようなお坊ちゃまな暮らしぶりだった
出川哲朗さんは1964年神奈川県に二男として誕生しました。
正直面影がありませんね^^
子供の頃は本当に可愛い普通の子供が40年後にこんな売れっ子芸人になるなんて誰が予想できたでしょうか?
実家は創業129年の歴史を持つ老舗海苔問屋「蔦金商店」です。
社長の息子として何不自由ない生活を送っていた幼少期の出川哲朗さん。
その暮らしぶりが伝わるエピソードを番組で話されていました。
- 自身専属のお手伝いさんが付いていた
- 父親はベンツに乗っていた
- 幼稚園には超高級外車で送迎
- 5階建てのビルに住む
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何不自由ない暮らしってあこがれますよね!
幼稚園に高級外車で送迎とか、私もそんな家庭に生まれたかった!
でもデビュー当時の出川さんも今の出川さんも、金持ちの息子っていう雰囲気は皆無だと思いませんか?
それを笑いを獲るために意図的に消しているのだとしたら、凄いなと思ってしまいます。
そんな、何不自由ない暮らしを送っていた出川哲朗さんですが高校卒業前の18歳の時に、父親が小豆の先物取引やクラブ経営に失敗し億を超える莫大な借金を背負ってしまいます。
繁盛していた家業が倒産に追い込まれてしまうのを目の前にした出川さんは、進学を諦め自ら働きに出ることを決意しました。
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若かりし頃の出川哲朗さんは、一流の料理人になるべく親戚の知り合いを頼って料亭とゆかりのある寺で修行の日々を送ることになります。
金持ちだった父親が事業に失敗して、一転借金地獄…
そのせいで、進学をあきらめざるを得ない…
まるで漫画やドラマのようなストーリーですよね!
そこで安定した公務員やサラリーマンを目指すのではなく、手に職をつけて一発逆転を狙おうという発想になるのが、商売人の家で育った環境が影響していたのだと推測できます。
お父さんが商売人だったからこそ、失敗はしましたが、自分で事業を起こしたり、投資したりするという姿勢を見て育っているので、出川さん自身も自分の力でお金を稼いでいくという決意ができたのだと思います。
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伝説エピソード②親戚も有名人!?出川哲朗の家系図が凄い
2012年に放送されたNHKの番組「ファミリーヒストリー」にて紹介された出川哲朗さんの家系図が凄いと話題に上がりました。
母方の親族にはなんと衆議院議員に日本製鉄所の社長、日本経団連の副会長がいてたのです…!
ものすごい裕福な家庭だったのですね。
出川哲朗さんは自身が裕福な家庭で育ったことについて
だから僕は裸になっちゃっても品が出ちゃうんですよね(笑)
と笑いを誘っていました(笑)
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しかし、今ではお茶の間の人気者ですし、好感度も高く、数多くのCMにも出演されていますが、デビュー当時やデビュー後しばらくは暗黒期とも言える時代があった出川さん。
その頃には、家系について語っていないことから、親戚からしてみれば、「出川哲朗が実は親戚なんだよね」とは言いにくい思いをしていたことも容易に推察できます。
「気持ち悪い、消えればいい」と散々な言われようだった若い頃は、政治家をされていた親戚、上場企業の社長をしていた親戚、経団連副会長だった親戚はどのような心境だったのでしょうか?
その頃の胸の内をインタビューしてみたいですよね!
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