浜田雅功の出身高校日生学園の鬼畜エピソード15選!恐ろしいほどに制限された全寮制高校の超スパルタな日常とは

浜田雅功さんの出身高校日生学園の鬼畜エピソードがヤバすぎたエンタメ

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鬼畜エピソード⑧情報源は床に散りばめられた新聞紙だけ

全寮制の超スパルタ高校である日生学園。

そのスパルタぶりは度を越えたもので文化祭や体育祭の行事は一切なく嗜好品や娯楽のためのゲームやテレビまでも持ち込むことが許されませんでした。

そのため外部の情報を仕入れることが出来ない環境にあったと言います。

唯一外部の情報を得ることが出来たのは月に一度行われる散髪の時でした。
それもテレビやラジオからではなく床に散りばめられた新聞紙からだと言うから驚きです。

そんな環境で学生生活を過ごしていた浜田さんは当時の流行や最新のものについてもちろん知ることが出来ず帰省の時に驚くことも少なくなかったと言います。

松本さんが話す歯磨き粉が3色になっていることに驚いていた浜田さんの話は有名ですよね。

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これほどまでに隔離された生活であったことも関係し日生学園に通う生徒は高校の敷地外のことを「下界」と呼んでいたそうですよ。

テレビやラジオもなくトランプやゲームも禁止された生活。
一体、日生学園で青春時代を過ごした生徒はどのような感情で毎日を過ごしていたのでしょうか。

社会の出来事を知るために新聞ぐらいはあってもいいやんと思いますが、それほどまでに徹底して禁止していた理由はなんなのでしょうか。

学業のみに集中させ外部との一切の関わりを無くすことで素行の悪い人達が悪事を考える時間を徹底的に排除していたとも考察できます。
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鬼畜エピソード⑨食事も厳しく制限されていた

高校男児と言えば食べても食べても太らない程に食べ盛りの時期ですよね。
そんな育ち盛りの学生が通う高校であったにも関わらず食事も厳しく制限されていました。

食事はおいしくない上に虫や小石が入っていることも珍しくなかったと言います…!
せめて炊き立て出来立てを食べたいところですがその願いも叶わず、食事は楽しみなものではなかったと卒業生は話します。

おいしくない食事を自由な量を食べられるわけもなく常に空腹だった生徒も多いようです。

だからと言って足りない分を自分で部屋に持ち込むなんてことも許されません。
日生学園では飲食の持ち込みが厳しく禁止されていたのです。

少ない睡眠時間に十分な食事を与えられていないとなると他の行動からみても全て洗脳のための戦略ではとすら思えてしまいます…。

朝4時に起き全力で掃除とマラソンをし既に疲れがたまっている生徒からすると食べられるだけで満足だったかもしれないですね。
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鬼畜エピソード⑩高熱や病気にかかっても病院には連れて行ってもらえない

常に全力を求められゆっくりと休まる時間が無い日生学園での生活。
そんな厳しく制限された生活では体調も崩してしまいます。

体調が悪く熱が出たとしても神経が緩んでいると心配されることは一切ありません。

それどころか熱が出ていても38度を超えていなければ学校を休むことも許されず、
40度の高熱が出ても市販薬を渡されるだけなのです。

日生学園では例え風邪や病気にかかったとしても致命的でない限り病院にさえ行かせてくれないのです…!

満足のいく食事を与えられないにも関わらず常に全力でいることを強いられ少しも手を抜くことを許されない生活。
例え雨が降ろうと雨具の使用も許されない。

そんな風邪をひかない方がおかしい生活ですが休むことが許されないために精神をやられる生徒は多かったことでしょう。

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浜田さんはどうしても学校に行きたくない時は”コップ一杯の醤油を飲んでいた”そうです。
これは「醤油飲み」と言い一気に熱が上がる手法で昔徴兵を逃れるためにも使われていた危険な行為です。

そこまでの危険をおかしてでも学校を休みたいとは日生学園での生活が異常なものだったと言うことが容易に想像できます。
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鬼畜エピソード⑪年に数回の帰省は終わった瞬間から地獄の幕開け

日生学園第二高等学校で高校生活を送る生徒にとって1番の楽しみであろうことが帰省。

久しぶりに自由のある生活、お腹いっぱいにご飯を食べられる幸せを堪能します。

帰省が終わりまた地獄の高校生活へと戻る足取りはそれはそれは重たいものであったでしょう。
実際、帰省を機に退学を決意する生徒は少なくなかったようです。

帰省から学校へと戻る際にはもちろん日生学園ならではのルールが存在します。

それが”身体検査”です。

日生学園では娯楽や嗜好品の持ち込みが一切禁止となっていますが、帰省の際に隠し持ってくる生徒がいたことから戻った際には厳しい身体検査が行われました。

もし持ち込みがバレた場合は没収され二度と返ってくることはありません。

こうした厳しい生活に耐えられず親に協力してもらいながら嗜好品を持ち込む生徒は複数いたようです。

  • 枕の中に飴を忍ばせる
  • パンツの中にお金を入れる
  • 歯磨き粉のチューブにチョコレートを仕込む

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日生学園ではお菓子などの甘いものを一切口にすることが出来なかったことから”砂糖”はとても貴重なものとして扱われ甘いものの持ち込みに成功すると先輩達からはすごく褒められたと言います。

浜田さんと同じく日生学園に通っていた今田耕司さんも当時の出来事について笑い話に変えて話していますが当時は相当怖い思いをしたのではないでしょうか。

枕に忍ばせて手に入れるとはまさに密輸…とても高校生の日常とは言えない異様な光景ですよね。

甘いものを一切口にできなかったことから風邪薬のビオフェルミンをラムネ代わりに食べていたという体験談から当時の食生活が伺いしれますね。
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鬼畜エピソード⑫一筋縄ではいかない脱走劇!

厳しすぎる学校やプライベートが一切ない生活に耐えられず脱走を試みる生徒が後を絶たなかった日生学園。

厳しすぎる日生学園からの脱走は容易なものではありませんでした。

  • 山ひとつ超えた最寄り駅ではすぐに脱走がバレてしまうため最低でも山ふたつ分は超えなければいけない
  • 脱走がバレると校内にサイレンが鳴り、見つかるまで脱走犯の学年全員が正座を強いられる
  • 脱走の際も制服しかないために近所の人や駅員に見つかってしまい通報されることも珍しくない

本当に高校からの脱走なのかと疑ってしまう程に命がけだったことが見て取れます。

聞くだけだとまさに収容所ですね…。

近所の人や駅員は脱走する生徒が多くいることを何も疑問に思わなかったのでしょうか。
山を越えてまで脱走を試みる生徒の話を聞こうと思う人はいなかったのでしょうか。

様々な鬼畜エピソードを事前に知ってしまっているため上記のような疑問が湧いてきますが、当時の日生学園は親や近所の人にとってどのような存在であったのかが気になります。

素行の悪い生徒を受け入れ更生させることが出来る学校として保護者からは信頼を得ていた可能性も否定できませんね。
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鬼畜エピソード⑬退学決断も揺るぐ程の恐怖支配があった!?

命がけの脱走が成功し無事に家に辿り着いたとしても安心できるわけではありませんでした。
日生学園では脱走する生徒も多かったからか退学届けは保護者同伴のもと直接提出することが必須だったのです。

異常とも言える日生学園での生活から逃げるために脱走し、親を説得し退学届けを手に学校へ戻ります。
学校で退学届けを提出しようやく地獄が終わると思いきやそう簡単に終わるはずもありませんでした。

なんと親の前であろうと「学校を続けると言うまでこの子を殴り続けます」と宣言され本当に殴られるのです…!?

【浜田雅功さんの出身校】退学を希望すれば続けると言うまで殴られた

退学を希望すれば続けると言うまで殴られた

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そんな恐怖支配があれば「続けます」と言わざるを得ませんよね。

脱走したからと言って絶対に辞められるわけではない日生学園。

素行が悪い生徒が多く通っていたとのことですが、目の前で子どもが殴られる様子を見ていた親はどのような気持ちだったのでしょうか。

我が子を助けたいと思うのか、これまでのことを反省してしっかりとしごかれてこいと思っていたのか、はたまた先生への恐怖心が芽生えたのか真相は分かり兼ねるところです。

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