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中森明菜の若い頃のすごいエピソード16選
「伝説の歌姫」として当時を知らない若者からも人気を集める中森明菜さん。
国内だけではなく、中国の若者にも人気なのだとか。
昭和アイドルとは思えないずば抜けた美貌と力強い歌唱力を若い頃から兼ね備えていた中森明菜さんは「花の82年組」だけでなく80年代のアイドル黄金期の中で人気を独占するほどの魅力の持ち主でした。
若い頃の中森明菜本当に可愛くて雰囲気凄くて伝説のアイドルっていわれるだけあるなー。可愛いけど少し影のある感じが好き。 pic.twitter.com/RH6WXDHPDx
— (@_____riria) March 20, 2018
若い頃の中森明菜さんまじで大好き、本当に可愛い pic.twitter.com/m9xipOtgTt
— マコ♩¨̮⑅* (@bubi0709) October 31, 2020
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全盛期の中森明菜さんはファッションセンスも当時のアイドルの中でもずば抜けていて一瞬にして虜になってしまいます。
昭和アイドルの中でも昭和っぽさを感じさせないお洒落さデビュー当時からの垢抜け具合に歌声以外にも誰もが魅了されるポイントがあるのではないでしょうか。
今回はそんな中森明菜さんの若い頃のすごいエピソード16選を紹介します。
- 幼少期から歌姫としての頭角を見せていた
- アイドルを目指したきっかけは優しさからだった!?
- オーディション番組『スター誕生!』に7回目の挑戦で史上最高得点を獲得し合格していた
- 計11社のレコード会社や芸能プロダクションが獲得に名乗りを上げる争奪戦が繰り広げられた
- 森アスナという芸名でデビューが検討されていた
- 中森のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」だった
- 来生たかお、来生えつこの作詞作曲コンビの楽曲でヒット曲を量産してブレイクしていった
- 大ヒット曲「少女A」は泣き叫ぶほど嫌いだった
- デビュー当時から積極的にセルフプロデュースを取り入れていた
- 1980年代のアイドルとして松田聖子と中森明菜が2大勢力として君臨していた
- 親衛隊が結成されるなどファンクラブの盛り上がりが凄かった
- 2年連続でレコード大賞を受賞するという快挙を達成していた
- 1980年代のシングル売り上げが女性アイドルで歴代1位だった
- 花の82年組としてバラエティー番組にも出演して大人気だった
- 主演女優としても高視聴率を獲得していた
- 近藤真彦と結婚間近と熱愛報道されるも自殺未遂を図り話題になっていた
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凄いエピソード①幼少期から歌姫としての頭角を見せていた
中森明菜の兄弟
1965年に東京都大田区に生まれた中森明菜さん。
6人兄弟の5番目、三女として4人のお兄さんお姉さんと1人の妹がいてます。
”明るく賑やかな家庭であってほしい”という思いから兄弟には全員「明」という字が付けられています。
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- 自分で子守唄を歌いながら寝る
- ハイハイをするようになる頃からメロディーを口ずさむ
- (4歳~14歳まで通っていたバレエでは)フラメンコやタンゴのリズムに合わせて生き生きと踊っていた
- 衣装へのこだわりを見せていた
幼少期より歌が好きだったことが良く分かるエピソードです。
ハイハイをする頃と言うとまだ1歳にも満たないと思います。
そのころから既にメロディーを口ずさんでいたなんて凄すぎる…!
小さい頃から歌で周りを笑顔にしていたのが想像できますね。
姉弟が多いことから家庭内が賑やかだったことから中森明菜さんが音楽に目覚めるのも早かったのもあるかもしれませんね。
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中森明菜さんは4歳から14歳までの10年間、バレエ教室に通っていました。
当時、中森明菜さんを指導していたバレエ教室の先生は次のように話します。
14歳まで休むことなく通い続け、本当に真面目な子だった。
フラメンコやタンゴのリズムに乗ると生きいきと踊り、将来はダンサーになるのではないかと思っていた。また、幼い頃から衣装にとてもこだわりを持っていた。
先生の言葉からわかるように将来はダンサーになることを期待される程真面目に取り組んでいたのですね。
画像から見て取れるように当時から表現力が高く大人顔負けのポージングにも思えます。
幼少期の頃から周囲とは一線を画す存在であったのではないでしょうか。
バレエで培った音楽の感受性はその後の表現力の豊かさに繋がったと考察します。
中森明菜さんと言えばその佇まいや言葉使いからも上品さを感じられますが幼少期からバレエを習っていたことが起因していたのですね。
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凄いエピソード②アイドルを目指したきっかけは優しさからだった!?
中森明菜さんが小学校に入学した頃の夢は保母さんになることだったと言います。
そんな中森明菜さんですが、小学1年生の頃に将来の夢を書いた作文は「歌手になりたい」だったそうです。
一体なぜ、歌手を目指すようになったのでしょうか。
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そこには母親の影響が大きく関係していました。
というのも、中森明菜さんの母親は美空ひばりさんのことが大好きで一時は宝塚を目指すほど強い歌手志望があったそうです。
自身が叶えることが出来なかった夢を娘に託そうと妊娠している頃から胎教として美空ひばりさんや森進一さんの歌を聴かせていたと言います。
明菜さんが生まれてからは幼少期から歌だけでなく歌い方まで手ほどきしていました。
褒められることが大好きな幼少期の中森明菜さんは母親の喜ぶ顔が嬉しく喜んで練習します。
そして、好きな母親に喜んでもらうために中森明菜さんは次第に歌手を志望するようになったのです。
幼少期は貧しい生活を送っていたため、少しでも家計を支えたいと思ったからとも言われています。
中森明菜さんは幼い頃から家族思いで母親が大好きな優しい少女だったのですね。
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夢であった歌手の夢を託した母親には明菜さんに何か光るものが見えていたのかもしれませんね。
明菜さんも母親から手ほどきを受けるうちに歌手という存在に憧れを持つようになったのではと推察します。
小学生の頃から持ち続けていた夢を立派に叶えて行く姿を近くで見ていた母親はどんな気持ちだったのでしょうか。
きっと誰よりも喜び応援し1番のファンであったのでしょうね。
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