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デヴィ夫人の若い頃の伝説エピソード16選
ご意見番として人気を集めるデヴィ夫人。
セレブで豪華な暮らしぶりを度々目にしますが、若い頃は想像を超える波乱万丈な人生を送っていました。
デヴィ夫人のゴージャスな暮らしぶりや物事をハッキリ伝える強さなどから若い頃から悠々自適な生活を暮らしていたイメージあります。
美しくかっこいい女性として生きるデヴィ夫人が波乱万丈な人生を送っていたなんて想像もしていませんでした。
アレらのダサくて貧乏くさくて辛気臭い画像にイライラしていた時、
たまたまインスタに流れてきた、デヴィ夫人の豪華でキラキラなお写真に心が満たされました。
こうであって欲しいわ。
思わずフォローしたわ。 pic.twitter.com/1h2ldgoLhh— ➶⡱꙳so this is love✰⋆*☪︎*。✰˖٭₊✼୭*ˈ.*·̩͙☀︎ః❅꙳˖٭₊ (@aozoraoribie) January 1, 2023
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そんなデヴィ夫人の伝説エピソード16選を紹介します。
- 幼少期の貧しい暮らしから生き抜く力をつけた
- 人の3倍の勉強と、人の3倍の働き、人の3倍の努力に人の3分の1の睡眠で自分を磨く
- 女優を目指し東芸プロダクションに入団する
- 中学卒業後は倍率150倍の難関を突破し家族のために働く
- 日本髄一の社交場で”プリンセス”と呼ばれる
- インドネシア大統領と運命の出会いを果たす
- インドネシア語で”聖なる宝石の女神”を意味する名前をもらう
- 最愛の母と弟との別れ
- 第一子となる女の子を日本で出産しフランスへ亡命する
- 世界の社交界で”東洋の真珠”と呼ばれる
- インドネシアで石油関係のビジネスを大成功させる
- 傷害罪で逮捕されていた!?
- 歴代のボーイフレンドが凄い
- 芸能情報雑誌「GORO」の創刊記念号でヌードを披露していた
- 日本で活躍を始める
- 北朝鮮と深い親交がある
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伝説エピソード①幼少期の貧しい暮らしから生き抜く力をつけた
1940年2月6日、東京都麻布に誕生したデヴィ夫人。
目鼻立ちがくっきりした美しい顔立ちからハーフや外国人だと思われがちのデヴィ夫人ですが、母親も父親も日本人の純日本人です。
名前は、”根本 七保子(ねもと なおこ)”さんです。
デヴィ夫人はてっきり外国の方かと思っていました!
目鼻立ちがくっきりし高い鼻筋にエレガントな佇まいからは日本人離れしているとも言えますよね。
父親も母親も日本人の純日本人だとは驚きです。
本名についても語られることはないので日本人としての名前があったことにも不思議に感じます。
デヴィ夫人の綺麗な目元は父親譲りなのでしょうか。
母親からも雰囲気を感じられることからデヴィ夫人は父親と母親の良いところを受け継いでいるようですね。
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太平洋戦争真っ只中に誕生したデヴィ夫人は幼少期について次のように話しています。
- 摘んできた野草をお浸しや雑炊にしたもの
- 家に迷い込んだ鳩を捕まえて照り焼きにしたもの
鳩まで食べていたとは…当時の様子は想像を絶するものだったのですね。
日常生活もままならず空襲警報が鳴るたびに防空壕に避難し身を縮め、足の悪い母親に代わって買い物にいくなど今のデヴィ夫人からは想像できないくらい貧しく辛い生活を送っていました。
それでもデヴィ夫人は、幼いころに体験した戦争と貧しさが、どんな逆境でも生き抜く力を与えてくれたと当時について語っています。
物心がついてきた幼少期が戦時中だったことから現在の当たり前に感謝し大事に1日1日を生きていることがデヴィ夫人から感じられる強さに繋がっているのかもしれませんね。
初めて知った感情や言葉から当時の辛さや怖さが凄まじかったことを連想させます。
当時の記憶がデヴィ夫人にとって忘れられない光景として残っていることも間違いありません。
その恐怖や辛さをその後の人生においてどのようなことも大したことではないと強さに変換することができたのはデヴィ夫人の元から持つ強さなのかもしれません。
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伝説エピソード②人の3倍の勉強と、人の3倍の働き、人の3倍の努力に人の3分の1の睡眠で自分を磨く
戦後は近くに駐屯地があったことから英語を話すアメリカ兵を近くに感じていたというデヴィ夫人。
アメリカ兵が話す英語に興味を持ち英語を猛勉強します。
当時の状況は経験した人にしか分かり兼ねる部分は多いと思いますが敵であったアメリカ兵に対して興味を持つことが戦争を知らない私からするとすごいことだと感じます。
現在もバラエティ番組で様々なことに興味を持ちどのようなことにでも積極的にチャレンジし新しいことに貪欲なデヴィ夫人。
その好奇心はアメリカ兵に対して恐怖心を抱き近づかないのではなく興味を持って言葉を勉強する若い頃から持っているデヴィ夫人の強さを作るひとつの要因だと考察します。
猛勉強の結果、英語も話せるようになり中学生の頃には英語の成績は常に1位だったようです。
中学生の頃には1位だったと言うことは小学生の頃から勉強をしていたと見受けられます。
小学生の頃に自分の興味をとことん追求していくとは幼い頃から努力家だったことが伺い知れますね。
小学生当時のデヴィ夫人がどのような方法で英語を勉強したのかとても気になるところです。
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英語を猛勉強し習得したことはデヴィ夫人の後の人生を大きく変えることになります。
現在のデヴィ夫人はいつもエレガントな髪型をしていることや化粧をしていることもありとて煌びやかでゴージャスな印象を受けますよね。
中学生の頃のデヴィ夫人はツインテールが似合うナチュラルな美しさがあります。
それにしても中学生の頃にはすっかり日本人離れした綺麗な顔立ちをされていますね!
デヴィ夫人は英語の他にも読書や絵をかくことが好きでした。
読書ではいつも主人公になりきり”知的な想像の世界に浸ることが、私の最大の楽しみでした”と回想しています。
読書をする中で物語の中に入り込みその世界に浸ることはデヴィ夫人の想像力や豊かさを作る大きな要因になったことでしょう。
また絵は小さい頃から得意だったようで、周囲からは「この子は天才だ」と言われデヴィ夫人も”将来は画家になる”と思っていたようです。
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とても繊細で見惚れてします絵画です…!
画家になっていてもきっとデヴィ夫人の努力と才能で成功を収めていたでしょうね。
美しい顔立ちで勉強もでき器用にものごとをこなす才色兼備のデヴィ夫人。
そんなデヴィ夫人が幸せそうでなんでも手に入れているようにも思いますが、波乱万丈の人生を歩み自身で生き抜く術を貪欲に学んでいました。
そのことが分かることをデヴィ夫人は話していました。
私は人の3倍勉強して、
人の3倍働いて、
人の3倍努力して、
人の3分の1の睡眠でやってきました。
今でもそうです。
私が自分をラッキーだと思うのは、
幼いころに体験した戦争と貧しさが、どんな逆境でも生き抜く力を与えてくれたこと。
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自分の力を信じ最大限の努力と行動で必死に生きてきたことが分かる言葉です。
デヴィ夫人から強さや逞しさを感じるのはこれまでの人生を必死に生きてきたからなのでしょう。
自分の経験や努力、成功を一つずつ歩んできたからこそデヴィ夫人の自信に繋がっているのだと推察します。
デヴィ夫人には目標を達成できた出来事、成功を掴み取った瞬間など多々あると思います。
ひとつの達成や成功に満足することなく現在まで自分と向き合い努力を続け、新たな挑戦を続けているデヴィ夫人だからこそいくつになっても輝かしくいれるのでしょうね。
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