【画像70枚】内村光良:色褪せない若い頃の伝説エピソード10選!活躍の勢いが止まらない理由を徹底考察!

内村光良さんの若い頃の画像エンタメ

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伝説エピソード③監督志望で入った大学で漫才の才能が開花

高校を卒業した後は映画監督を目指すために横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)演劇科に入学します。

内村光良さんが若い頃に通っていた横浜放送映画専門大学時代の同級生

内村光良さんが若い頃に通っていた横浜放送映画専門大学時代の同級生

内村さんの相方である南原清隆さんとは大学で出会います。

若い頃は人見知りだったという内村さんと、盛り上げ上手でクラスの中心にいる南原さん。

そんな性格が真逆な2人がコンビを組むきっかけとなったのは2年生の漫才の授業です。

ウッチャンナンチャンの若い頃の画像

内村光良さんと相方南原清隆さんの若い頃の画像

漫才の授業でたまたまコンビを組むことになった2人。

おあずけブラザーズ」として内村さんが用意した台本に南原さんのアドリブで発表した漫才は大ウケだったそうです。

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大学生の時には人見知りだったという内村さん。
一方で幼少期には目立つことや笑いを取ることが好きでした。

中学・高校の時代に出会った映画や脚本していた経験も相まって漫才にも活かされていたのかもしれないですね!
バラエティのサイレント映画を見ていた内村さんならではの表現などもありそうで想像ですが素人とは思えない漫才を披露していそうですね。

この時の授業で特別講師を務めていた漫才師の内海好江は2人の才能を見抜き、「卒業しても漫才をやる気があるんだったら、私たちの事務所(マセキ芸能社)で面倒を見る」と言い芸人になることを後押ししたのだとか。

演出家の先生からも漫才で進む道を後押しされた2人はその後「お笑いスター誕生」のオーディションへ参加することを決意します。

この時に決まった出演で初めて「ウッチャンナンチャン」が誕生しました。

ウッチャンナンチャンの若い頃のコント中の画像

オーディション番組に参加するのをきっかけに「ウッチャンナンチャン」という芸名が決まった

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コントメインの2人の芸風は一気に注目を集め瞬く間にお茶の間の人気者となりました。

内村光良さんの若い頃の同級生出川哲郎さんとの番組での共演

内村光良さんの若い頃の同級生出川哲郎さんと番組で共演した際の画像

現在、様々な番組で共演を果たしている出川哲郎さんとも同じ大学で出会っています。

俳優を志望し劇団のメンバーを探していた出川さんと監督を志望していた内村さんは「劇団を作りたい!」と意気投合したそうです。

内村光良さんと出川哲朗さんの若い頃の画像

監督志望の内村光良さんと俳優志望の出川哲朗さんは大学で出会った

学生時代から出川さんは内村さんのことをジャッキーチェンに似ていることから「チェン」と呼んでいます。

現在も共演をした際には「チェン」と呼び仲の良さを感じさせられますよね。

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2人は若い頃からの夢であった劇団を作ることを卒業後に叶え「劇団SHA・LA・LA」を結成し、出川さんが座長にウッチャンナンチャンが団員となりました。

ウッチャンナンチャンがテレビで人気が出てくると劇団も注目されるようになり、出川さんもテレビに徐々に出演するようになっていきます。

内村光良さんと出川哲朗さんは大学の同級生で若い頃から仲が良い

内村光良さんは大学でかけがえのない友人と出会う

内村さんが司会を担当する番組に出川さんがゲスト出演した際には「僕の友人です」と紹介したり、一緒に番組を盛り上げたりととても和みますね。

映画監督を志望して進学した大学で生涯の仲間と天職に出会ったのですね。
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伝説エピソード④お笑い第3世代として人気を博しバラエティ界を牽引

ウッチャンナンチャンとして『お笑いスター誕生!!』へ出場。
3度目の挑戦となった第7回オープントーナメントサバイバルシリーズにて初優勝を飾ります。

実際にお笑いスター誕生に出演したときの動画はこちら

一気にお茶の間の人気を集めたウッチャンナンチャンはその後、今では伝説の番組とも言われている「夢で逢えたら」に出演します。

内村光良さんが若い頃に出演していたテレビ番組「夢で逢えたら」の画像

内村光良さんが若い頃に出演していたテレビ番組「夢で逢えたら」の画像

共演するダウンタウンさんや野沢直子さんとともに繰り広げられる軽快なコントや癖になる様々なキャラクターが視聴者をくぎ付けにし大人気番組となりました。

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学生時代に見ていた映画の影響か内村さんの演技はとても自然体ですよね。

またサイレント映画を見ていたからか表情だけでなく身振り手振りにも影響しているように思います。

ダウンタウンとのコントなど貴重な映像はこちら

その勢いは止まらずダウンタウンやとんねるず、B21スペシャルとともにお笑い第3世代を牽引する存在へとなりました。

ダウンタウンやB21スペシャルの豪快な人柄とは異なり、ウッチャンナンチャンの芸風や人柄は純粋に人を楽しませてくれ誰かの欠点を笑いにしたりすることがないため、誰が見ていても楽しいものだったのではないでしょうか。

そのため、お笑い第3世代の中でも幅広いファン層を獲得していたのではと推察します。

内村光良さんが若い頃にダウンタウンや野沢直子達と出演していたテレビ番組「夢で逢えたら」の画像3枚

ウッチャンナンチャンはダウンタウンやB21スペシャルとともにお笑い第3世代を牽引する存在になる

ウッチャンナンチャンの人を傷つけない温かな芸風は世代が変わっても変わらず愛されています。

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お笑い第3世代としてお笑い界を牽引していたウッチャンナンチャン。

当時の人気ぶりは凄まじいものでした。

当時の人気ぶりが分かる出来事
  • ウッチャンナンチャンが司会を務めた番組の視聴率が高い
  • バラエティ番組の出演数
  • ライブチケットが次々と完売
  • 若年層からの支持が熱い

お笑い第3世代を象徴する番組と言っても過言ではない「夢で逢えたら」や、ウッチャンナンチャンが司会を務めた当時の代表的な番組の視聴率が高く当時の人気ぶりを窺い知ることが出来ます。

このようにウッチャンナンチャンが司会を務める番組では高視聴率が出ていたことから当時の人気は凄まじく飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を集めていたと考察します。

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お笑い第3世代と呼ばれる時代の1989年から1990年の2年だけで13本ものバラエティ番組に出演しています。

この頃のウッチャンナンチャンのライブのチケットは次々に完売し2人を一目見ようと多くの方が殺到しました。

また、当時のウッチャンナンチャンの支持を後押ししたのが若年層でした。

内村さんのユーモアさやトークスキルはもちろんそのイケメンぶりにも注目が集まり新たなファン層を獲得していたのではないかと考察します。

内村さんと言えば数々のキャラクターをコント内で演じているのが一つの人気の理由ですよね。
皆さんも内村さんの好きなコントキャラクターが一つはいてるのではないでしょうか。

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私のお気に入りは「辞めんなマン」です。

独特な慰め方や突拍子もない行動についつい吹き出してしまいます(笑)

1人で多くのキャラクターを生み出し演じることが出来る内村さんは他のお笑い第3世代の方達とは一線を画していたのではないでしょうか。

それぞれのキャラクターが一つ一つ確立されており使い分けることでどんな人にでもなれる内村さんは幅広いファン層を獲得できる唯一無二の存在だったのではないかと推察されます。

当時を知らない人も内村さんのコントを見ればどれか一つはお気に入りが見つかるはずです。

それぞれのお気に入りを話すことで更に認知も広がり人気が瞬く間に広がっていったと考えられますね。

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